2008年3月28日 (金)

難発性の吃音(どもり)障害

難発性の吃音で23年ほど悩まれているとのことでインターネットを通じて来院。

吃音障害は様々な角度から分類されているようだが、一般的に分かる吃音は連発性の吃音で、難発性吃音は、最初の言葉から後ろが続かない状態になる。

今回のクライアントさんは、様々な心理療法や自己訓練法などを試してみたが効果がなく、呼吸法を自分なりに研究されてかなり改善されたとのこと。

しかし、電話やインターフォンでご自分の名前を名乗る際に、声が出づらくなるのは変わらないらしい。声に詰まるのではないのではないかという場面は、ある程度予測ができるとのことで、それを回避する言い方もご自分で訓練されているとのこと。

心身条件反射療法のサイトを見られて問い合わせていただいたとのことで、何らかの病的な条件づけが原因であるということをご自分なりに勉強されて検索されたらしい。

一回目の施術において、ご本人自身が予測されていた原因(過去の苦い思い出“トラウマ”)を心身条件反射療法の検査で調べてみたが、病的な条件づけ反応は示されなかった。

他の原因を調べてみると、20年ほど前のご家族との関係性においての反応が示されていたので、その条件づけを消去した。

二回目の施術では、症状にあまり変化がないとのことで、実際に電話をかけてみると名前を名乗る前に声が出づらくなる症状がでていた。心身条件反射の検査をしてみると、ご家族との関係の反応が再現された。それ以外の病的な条件づけも消去して、施術直後に実際に電話をかけてもらうと今度はスムーズに名前がでてきた。

三回目の施術の後に、試しにファミリーカイロに電話をかけてもらったが、受付では名前がスムーズに出てきていたとのことだった。

四回目の施術では、電話での対応は改善されているようだが、インターフォンでご自分の名前を名乗る場面と20人程度の会合での自己紹介の場面で声が出づらかったのこと。

原因を調べてみると、過去のトラウマ的な条件づけの反応ではなく、二次的な症状連鎖の条件づけで反応が示されていた。

ご本人も、原因の幹の部分は解消されて、後は二次的に生じている枝葉の部分だけが残っている感じがするといわれていた。

後は、月に一回ぐらいメンテナンス的に通院していただき、その枝葉の部分の症状が再現されて、そこから原因を調べて、病的な条件づけを解消していけばほぼ問題ないだろう。

ご本人自身が人を楽しませることが好きで、基本的にはプラス思考が上手な方なので、経過も良好である。

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2008年1月29日 (火)

トラウマによる口のまわりと顔、肩のこわばり

5年ほど前より、顔のこわばり感や首肩の違和感を発症。

思い当たる原因をお尋ねすると、丁度症状が発症した時期に、二日間で仕事を辞めたというトラウマ的な出来事があったとのこと。

心身条件反射療法(ニューロパターンセラピー)で検査をしてみると、確かに5年前の出来事によって心身が「緊張パターン」になっていた。その「緊張パターン」を「リラックスパターン」に切り替えると、先に検査した両側の大胸筋や顎周辺の筋肉の異常反応は消失した。

両肩関節の内回しが引っ掛かる感じだったのも、ほとんどスムーズに回るようになった。

また、二次的に生じていた口の周りの表情筋の反応も解消された。

病院で精神安定剤を処方されていたそうだが、根本的にはこの潜在パターンを切り替えなければ、治らないだう。

営業のお仕事とのことだが、5年前に心身条件反射療法に出会っていれば、もっと良い仕事関係や人間関係ができただろう。

とても誠実で、お人柄のよい方なので、このトラウマが解放されれば、さらに豊かな人間関係を気付かれることだろう。

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2007年7月16日 (月)

「自分には存在価値がないのではないか」というストレス

先日、「自分には存在価値がないのではないか」というストレスで、そのような感情が強くなると自殺願望へとつながるらしい。

もしも、戦争中の国であれば、如何に生き延びていくかという生存的願望の方が強くなり、自分に存在価値がないのではないかとういうストレスは生じにくくなるだろう。

現代に日本はとても平和であるが故に、自分が居ても居なくてもいいのではないのではないかという自己の存在価値に対するストレスが生じるのだろう。

極端な話、戦争中の国へ行けば、自分の存在価値に対するストレスはなくなるかも知れない。

戦争であろうが、平和であろうが、いつの時代でもその時代に見合うストレスが生じるものである。

では、そのようなストレスがストレスでなくなるためには、どのようにすれば良いのだろうか?

まずは、ストレスの元になっている「思考パターン」を明確に把握することである。

そして、思考パターンがワンパターンになっていれば、その思考パターンから別の思考パターン、すなわち脳・神経系を緊張させない思考パターンを探すことである。

病気を引き起こす思考パターンの多くには、無意識的な心の制限が掛かっている場合が多い。

その制限を開放させるには、現在の考え方を押さえ込んだり、否定したりするのでなく、それを包み込む新たな考え方を増やすことが有効だろう。

人それぞれに、それぞれの考え方があり、人の顔の形がそれぞれに異なるように、似たところはあるが、すべてにおいて同じ考え方を持っているということはありえない。

まずは、人それぞれに考え方が異なるという前提条件を踏まえて、新しい知恵の引き出しを作っていくことが大切になる。

昔から言い伝えられている中国古典や仏教哲学などは、とても深いプラスの思考内容が含まれている。

しかし、同じ言葉、文章でもその人の受け止め方次第で、解釈の意味が異なることも多々あるだろう。

思考パターンの分類にはマイナスやプラスに大きく分けられるが、別の分け方で分けると、一つ目は「思考パターンに無限の可能性を持つ(考え方決め付けない)こと」と、二つ目は「思考パターンに制限を加える(ある考え方を決め付けてしまう)」とに分けられる。

どちらが、ストレスに対する適応力が高いかというと、前者の方で「考え方を決め付けない」方が、「決め付ける」方よりも適応力が高く、健康的でもある。

ある考え方を決め付けてしまい、その考え方の「抽象度」が高ければストレスになりにくいが、その考え方の「抽象度」が低ければ、融通が利かなくなってストレスになりやすくなる。

例えば、今回のクライアントさんのように、自分は存在価値がないのではないか?」すなわち「自分は何のために生きているのか?」というマイナスの思考パターンに対してのプラスの思考パターンを導く際、仏教哲学で説かれている「現世」での思考範囲では抽象度が低くなり、「過去世」→「現世」→「来世」というように抽象度を高くすると、もっと柔軟なプラスの思考パターンがでてくるだろう。

宗教的な思想を悪用する人がいるので、宗教的考え方に過敏になっている人も少なくはないと思われるが、そこにはとても深い知恵が隠されており、その知恵をご自分の人生の糧にするかどうかでは随分と豊かさが違うのではなかろうか?

プラスの思考パターンの参考として、仏教的哲学や中国古典などの考え方をご紹介させていただくこともがあるが、クライアントさんによっては、宗教的な考え方に過敏になられている人も少なくはないので、クライアントさんのためにとその考え方を紹介させてもらっても、相手にとっては考え方を押し付けているかのように受け止められることもあるので、その発言には気をつけなければならないと感じることもある。

「自分には存在価値がないのではないか」というマイナスの思考パターンを抱えていたクライアントさんに仏教哲学を背景にした考え方をご紹介させていただいた後、そのクライアントさんにとってはその考え方が腑に落ちたようで、その後は、そのようなマイナスの思考パターンのストレス反応は示さなくなっていた。

仏教や古典の専門家ではないので、あまりそのことに関して語る資格もないのかもしれないが、昔から言い伝えられている「古典的な考え方」には深さがあり幅がある、その深さや幅の広さが、脳を閉鎖系から開放系へと導いてくれるようだ。

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2007年2月23日 (金)

「物忘れ」は潜在的ストレスから

ここ数日の診療で、「物忘れ」を訴えるクライアントを数人治療した。

その中で、現在通院されている奥様のご紹介で来られたクライアントがいる。

ちなみに、そのクライアントの4人の子供達も全員が喘息だったのが、ファミリーカイロの治療ですっかり良くなり、家族関係も良くなられたとのことで喜んでいただいている。

ご主人であるクライアントはまだファミリーカイロで治療を受けたことがなかったが、奥様のストレス反応の中で、ご主人の物忘れがストレスになっていることが判明し、それは早めに治療をされたほうが良いですよということで、ご主人にも来院していただいた。

ご主人もその物忘れに関してはある程度自覚されている様子で、その物忘れのイメージングから検査をするといくつかのストレス反応がでていた。

今、話題になっている「認知症」の原因は、西洋医学では強調していないかもしれないが、やはり本質的には「潜在的なストレス」から生じるのだと強く感じる。

物忘れなどの原因となるストレスは、本人がほとんどストレスそして認識していないことが多く、「小さなこと」や意識的には「ほとんど気にしていないこと」などで、心身条件反射療法の検査では明らかにストレス反応を示す。

それらのストレス反応は、意識的には気にしていなくても、潜在的に気にしているがゆえに、身体には正直に反応を示すのである。

つまり、本音の自分は、気になっているのに、気にしないようにしてそのストレスを奥に押し込めたり、気にしないように無理に忘れようとストレスを抑圧しているのである。

このような潜在的な心のクセがついてくると、本来忘れなくてもよい日常のことを忘れてしまうクセ(病的反射)が付いてしまい、記憶に関連する脳・神経系の活動が低下して、だんだんと通常の記憶機能まで影響を及ぼして、認知症が進行していくという仮説が成り立つ。

現代医学では明確な「認知症」の治療がないといわれているが、予防するためには「物忘れ」という兆候が出始めたときから、早期にその本質的原因となる潜在的ストレスを特定、整理して、それらのストレスが身体に影響を及ぼさないように、心身条件反射療法のような本質的なケアをすることが望まれる。

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2007年1月23日 (火)

「求める」こころと「与える」こころ

しばらく通院していただいているクライアントで、以前は、脅迫神経症や心身症的な様々な症状がでたりでなかったりして自殺願望の傾向もあった。

最近は落ち着いてきたという感じだったが、前回の治療では久しぶりに自殺願望の不安反応がでていた。

様々なストレス反応がでていたが、気持ちが内側へ内側へと向いている様子だった。

人それぞれに、それぞれのストレスがあるが、気持ちが自己の内側へと向きすぎてしまうと、ストレスになり、様々な症状を引き起こし、自分の存在価値がないのではないかと錯覚し始め、自殺願望へと発展しかねない。

人間のこころの特性として、基本的に「求める」こころと「与える」こころに大きく分類される。そのクライアントAさんに、今どちらの方に傾いていますかと質問すると、Aさんは苦笑いで「欲が深いので求めるばかりですね・・・」というような答えが返ってきた。

人間は誰にでも「求める」という欲がある。

「欲」にも色々ある。

基本的な欲は物欲財欲食欲性欲、睡眠欲、名誉欲などがある。

これらは「求める」という内側に向いた「欲」であるが、これらの欲が偏りすぎると精神的にも肉体的にもバランスを崩してしまう。

「求める」という意識は内側に向いた「欲」であるが、人間には「与える」という外側に向いた「欲」もある。

「与える」という外側に向いた「欲」とは、分かりやすく言えば、人に喜んでもらうという欲であるが、直接的に人に喜んでももらうことだけでなく、どんな仕事でも、たとえ人に評価されなくても間接的に人に喜んでもらえる仕事(行為)はたくさんある。

日常の掃除や洗濯、自分が使っていない公衆の道路やトイレ掃除など、「与える」仕事は山ほどあるし、誰に対してでも「愛情」という目には見えないモノも与えることはできる。

この「与える」という想いや行為は、一見、損をしているかのように思われがちだが、実は自分の「徳」を積んでいる行為であり、究極的には自分の幸せにつながることである。

直接的に見返りを期待しない奉仕や愛情などの「与える」行為は、究極的には自分に帰って来るモノである。

計算ずくでそのような行為を行ってはならなのだろうが、最初は計算ずくで行っても、人や社会に役立つ自分の行為自体が喜びとなり、本物の行動となって、自分を取り巻く環境が「正」の循環へと自然に変わってくるだろう。

たとえ周りの環境が直接的に変わらなくとも、そのような「与える」自分を誇りに思うに違いないし、そのような人は明るく輝いてくるだろう。

そして、そのような人を取り巻く家族関係や人間関係が悪くなるということは考えがたい。

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2006年11月29日 (水)

夫婦関係のストレス

メンテナンス的に通院されている患者様が、最近、夜中の4時頃に目が覚めて、腹痛の症状がでたりするとのこと。

原因を調べてみると、奥様との関係がうまくいっていないことによるストレスだった。

以前から色々とあったようだが、今回は背広のアイロンを掛けてほしいと奥様にお願いする際に、奥様から「いつも忙しいときになって急に頼んで・・・・」という不平不満を言われるのがいやであるといった内容のストレスだった。

些細なことが溜まって互いがピリピリした関係になっている様子。

明らかに奥様からは大事にされていないということがご本人も気づかれている様子

奥様からは、以前より「社長病」だと指摘されているとのこと。

ご本人にしてみれば、奥様が変わってくれればと願っているようだが、ご本人自身が変わらなければ奥様は変わらないだろう。

恐らくご本人の潜在意識の中で、自分が一番苦労してお金を稼いで、家族を養ってあげている家族の大黒柱という自負があるのだろう。

厳しくいえば、自分ひとりで家族を養ってあげているのだという傲慢さがでている。

奥様はそのようなご主人の傲慢さに耐え切れなくなってきているのだろう。

奥様がご主人を大事にしなくなれば、それを見ている子供たちもお父さんを尊敬しなくなり、利害関係だけの建前の家族関係になっていき、家族が崩壊しかねない危険性が生じてくる。

お金を稼ぐのがお父さんであっても、そのお父さんを陰で支えてくれいる家族がいるからお父さんが外で働けるのである。

たまたま外でやりがいのある仕事させてもらう立場に立たせていただいているという謙虚さや感謝の気持ちもなくなっている。

もしも、奥さんが外でお金を稼いで、ご主人が家の家事などをする立場に立たされたらどうのように感じるだろうか?

家族にはそれぞれの立場や役割があって調和されて成り立っているのである。

互いの立場や役割を互いが尊重し、感謝し合う間柄でないとうまくいかないだろう。

恐らくこの方のご家族では、極端にいえば、お金を稼ぐ人が一番偉くて、稼がない人は偉くないという潜在的な構図が成り立っているのだろう。

そのような誤った価値観に、ご本人自身が気づかなければ、互いの信頼関係が希薄になって、家族崩壊の道をたどるだろう。

もしも、お父さんが稼がなくなってしまえば、金の切れ目は縁の切れ目とう状況にもなりかねないことも認識すべきだろう。

心身条件反射療法では、検査反応によって、そのような人生における大切な「気づき」を得ることができる。

その「気づき」によって方向修正できるかどうかは、ご本人次第であるが、自分のマイナスを自分で認識するのはとても難しい。

私たちはそのような大切な気づきの手伝いによって、皆様のお役にたてることができればと願っている。

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2006年11月21日 (火)

書痙(書く行為に対する手の振るえ)とストレス

税理士の資格試験を目指されている方が、書痙を訴えて来院。

すでに心療内科を受診されているとの事。一回目の治療後に書いてもらうと、確かに書きやすくなっていると喜ばれた。

4回目の治療を終えたところだが、経過は良好である。

検査では、書痙になった因果関係がだんだんと明確になってきた。

ご本人もその原因と結果のプロセスを納得されている様子。

さらにご自分の白黒はっきりしたい性格も認識されて、その心のクセにも向き合おうとされている。

論語で「中庸」という言葉が言い伝えられている。

「中庸の徳為るや、其れ至れるか。」すなわち「どちらにも片寄らない中庸の道は、徳目の最高指標である。」「過ぎることもなく、及ばぬこともなく、しかも偏らないで、終始変わらないところの中庸は、人間道徳としての価値が最高至極のものである。」ということだが、意味が深い。

「中庸」とは単に自分の都合に合わせて中途半端にするという意味ではない。

本当の中庸には目的がなければならないだろう。

その目的も自分のためだけの目的ではなく、世のため人のためになる目的でなければ自分自身を苦しめることになるだろう。

そのような高い目的に向かう過程において、その目的に向かうベクトルの傾斜が高すぎると心も体も行き詰るかも知れない。

一方、ベクトルが低すぎるといつまで経っても目的にたどり着かないかも知れない。程よいベクトルの傾斜を保つことが必要だが、程よいベクトルを保つためには、自己を知らなければならない。だから中庸は難しい。

目的に向かう階段の過程において、時には踊り場も必要である。踊り場で外の景色を見て心身を整え次のステップに備えることも必要だろう。

踊り場で休憩したからといって自分を責めることもあるかもしれないが、次のステップのための心身のエネルギー補給も必要である。

今回、書痙で来院されたが、単に肉体の問題を改善されるだけのとどまらず、今後の人生に役立つ大切な「気づき」を得ているように感じる。

このような「中庸」のバランス感覚の必要性も、「心身条件反射療法」を通じて深く感じていただければ幸いである。

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